『三国志』の一方の雄(ゆう)が呉(ご)の孫権(そんけん)であるが、この孫権の部下に呂蒙(りょもう)という将軍がいた。呂蒙は戦がめっぽう強く、どんどん抜擢されて将軍の位にまで登りました。しかし、少年時代は家が貧しくて勉強できず、ほとんど無学、無教養に近かったのです。一兵卒ならそれでも良いのですが、いやしくとも将軍ともなれば、それでは困るというのが中国社会の認識です。一年発起した呂蒙は寸暇を惜しんで兵法書や歴史書を読みあさりました。たまたまそのころ、先輩の将軍が呂蒙の頓営(とんえい)に立ち寄りました。すると、呂蒙はとうとうと戦略戦術を論じ立てて、先輩の将軍を感服させました。その時、将軍のもたらしたのがこの言葉でした。「むかし、呉の都にいた頃の蒙君(もうくん)ではなくなった」という意味で、よくもまあ進歩したものだという感嘆の気持ちが込められています。我々も「呉下の阿蒙」(進歩しない人間)であってはなりません。
さて、最近では比較することは好ましくないナンバーワンではなく、オンリーワンを目指せと言われますが、常に評判の良い店・人気の高い店と比べ、劣っているところがあればただちに改善し、優れた他店を参考に常に工夫を凝らしたサービスの向上に努めることがお客様に喜んで頂けるお店づくりには大切です。
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