「三界唯一心、心外無別法(さんがいにただいっしんのみしんげにべっぽうなし)」とつづきます。「三界」とは欲界、色界、無色界のこと。三界のすべての現象は心によってのみ存在し、また、心のつくり出したものであるということ。その三界にはただ一つの心があるのみだ。その一つの心以外には法はないんだということです。つまり、この世の中のあらゆる現象は、集約されて「心」となってあらわれる。だから、仏法といえども、この心の外にあるわけではない。この心こそ、すべての存在の根本である。あらゆる存在するものの根源を、心というもので言いあらわすわけで、その心を離れては仏法もないのだということなのです。ですから、心が歪めば、仏法も歪みます。
私たちの平和な気持ちも、すさんだ気持ちも、あなた自身の「心の持ち方一つ」です。それ以外には何もないのだよ、ということなのです。人がものごとに対処する姿勢は、たいていの場合は二通りしかありません。肯定的か否定的、鮮明か不鮮明、積極的か消極的、自責か他責、革新的か保守的、楽観的か悲観的…。大ざっぱに考えれば、人生の選択は二進法です。人は「思い」によって勝者にもなれば敗者にもなってしまいます。だから、人生に「勝つ」ためには、自分の発想の基軸を、肯定的、鮮明、積極的、自責、革新的、楽観的のほうにシフトすることです。こうした基本的な心の持ち方の習慣ひとつで、行動の結果は大きくよい方に変わっていくものです。
*1『正法眼蔵』−しょうぼうげんぞう、中国・宋時代
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